「僕が死ぬまでの一秒間」を考察してみた

今回紹介する作品は、サークル「にむの屋」様の「僕が死ぬまでの1秒間」です。 ずっと前から気になってました。 「僕が死ぬまでの1秒間」という「主人公死亡」の衝撃展開から始まる本作ですが、 始まってから主人公に残された時間は「残り1秒」です。 本作は、不運な事故によって、走馬灯の中にいる主人公の「心残り」によって、25年前に「タイムスリップ?」したお話です。 いや、タイムスリップしたのか、走馬灯の中にいるのか、死ぬ寸前の夢の中にいるのか、 正直、正直何なのか、怪しい描写も多くあり、結局、あれ何だったのか? という疑問で終わる本作。 なぜなら、主人公は、今まさに死ぬ寸前なのです。 トラウマを解消し、「夢」としか思えない経験をする主人公ですが、その夢が覚めてしまえば、「死」という暗い現実しか待っていないのです。

走馬灯の中で、「下着を拾ったあの日」を振り返る主人公。 それは、全ての始まりであって、「主人公の執着地点」でした。 シングルマザーに欲情し、彼女の下着を妄執した時、彼の男としての「人生は終わった」。 「性癖の大きな歪み」であり、まっとうな人生を歩めなくなっていったことの証でもあります。 幼少期に体験した、彼の「青春」は、その後の人生を灰色に染めるのです。 同級生の母に欲情し続けた、25年間は、まるで「蝉の幼虫」のように、光のない日々だったはずです。それと対比するように、この漫画では常に蝉が鳴き続けています

性への執着なのか・・・それとも後悔を払しょくしたいのか?

物語では、事故によって死亡する主人公が、事故によって、「25年前にタイムスリップ」するところから始まります。 事故の回避なのか、彼には、まだ人生の「やり直し」が出来る。 生の獲得に喜ぶのが普通なのですが、彼は、「性への執着」に、あの「事件」を繰り返すことになります。 それは、例の「シングルマザー」に会いにいくこと。否、犯しに行くのです。

下着泥棒で終わりたくなかった

過去のトラウマのような事件。 主人公は、25年前に戻り、「やり直し」ではなく、再び、やってしまう。 それは、彼女の侮辱されたことへの「ショック」ではなく、彼女に対する「性的な欲求」のため。 彼は、あの「25年前の事件」を、「やってしまった後悔」ではなく、「続けなかった後悔」として認識していたのです。つまり、「下着泥棒」ではなく、「その先」の変態行動を、なんとかしても実践したかったのです。

まさに交尾相手を見つけた蝉のように

物語では、子供を武器に、シングルマザーへのセクハラを繰り返します。 そこは、25年間の「大人の悪知恵」でしょう。中身は35歳くらいなんですから。 同級生の友達が、屑とは知らないシングルマザー。 妄執の果てに交尾の音は際限なく鳴り響きます。 そしてそのレイプが終わることはあるのだろうか? 一つだけはっきりしていることがある。 夢から覚めたその時、彼は静かな眠りにつくということだ。 蝉が最後の一哭きを終えるように。

なぜなら、「僕が死ぬまでの1秒間」だからです。

夏の季節と蝉との対比。興味深かったです。それに世にも奇妙な物語テイストがあって、 趣深かったです。面白かった。エロ漫画としても単純にクオリティ高かった以上に、 読み物としてもよかったですね。