Breakbeats on the Athena
古びたアパートの一室。壁の剥がれたクロスと、歪んだ窓枠から差し込む朝日が、狭い部屋を照らしている。男は、机の上に並ぶ音楽機材に囲まれていた。古いサンプラー、ハードディスクの容量不足を警告するラップトップ、そしてスピーカー。彼の名前はリョウタ。どこにでもいそうな音楽好きの男だったが、その瞳の奥には揺るぎない情熱が宿っていた。 リョウタの指は慣れた手つきで操作を続けている。昨夜からほとんど休まず、彼は曲を仕上げていた。「Breakbeats on the Athena」と名付けられたそのトラックは、疾走感あふれるドラムビートと、宇宙空間を漂うようなシンセサイザーの音が特徴だった。 「完成だ……」 音楽配信サイトにアップロードして収益化することが一般的な時代、リョウタはその流れに逆らう道を選んでいた。理由はシンプルだ。配信サイトのアルゴリズムに振り回されることに嫌気が差していたからだ。どれだけ心血を注いで作った曲でも、再生回数やトレンドに左右され、リスナーの耳に届くことすらままならない現実。それに屈するくらいなら、自分の手で届けたい。 「Athena」計画 リョウタが目指したのは、自分の音楽を直接リスナーに届ける新しい方法だった。名付けて「Athena」計画。ギリシャ神話の知恵の女神アテナにちなんでいるが、彼にとってはもう一つの意味があった。それは、彼がかつて愛していたアテナという女性の名前だった。 アテナは、音楽が結びつけた特別な存在だった。しかし、リョウタが成功を求めて音楽の道にのめり込むうち、二人の間には次第に溝が生まれた。最終的に、彼女はリョウタの元を去った。それでも、彼女が口癖のように言っていた言葉――「音楽は人と人をつなぐものだよ」――だけは、今も彼の中に生きていた。 「音楽を直接届ける。人と人をつなぐ。それが俺にできる最大の復讐だ」 路上から始まる挑戦 リョウタの第一歩は、地元の駅前の路上ライブだった。巨大なスピーカーとラップトップをセットし、「Breakbeats on the Athena」を鳴らし始めた。 最初は通りすがる人々の無関心な視線が彼を苛んだ。それでも、音楽に反応して足を止める若者が少しずつ増え始めた。その中には、かつてのバンド仲間のタカシの姿もあった。 「お前、こんなとこで何やってんだよ」 タカシは苦笑しながら言ったが、その目はどこか輝いていた。 「俺たち、こんな熱いこと、久しぶりに見た気がする」 タカシはリョウタに協力を申し出た。そして、数日後には仲間を集めて路上ライブを拡大させた。 音楽の波紋 やがて、SNSで「謎の路上アーティストが熱い」と話題になり始めた。人々は「Breakbeats on the Athena」を録音して投稿し、リョウタの音楽は広がっていった。 しかし、そんな中で音楽配信サイトの担当者がリョウタに接触してきた。 「君の音楽はすごい。配信サイトに登録すれば、もっと多くの人に届けられるし、収益も得られる」 甘い言葉だった。けれども、リョウタは首を振った。 「俺の音楽は、アルゴリズムじゃなくて人の心で届いてほしいんです」 担当者は呆れたように肩をすくめた。 「それでどれだけの人に届けられるかね。君の理想は美しいけど、現実はそう甘くない」 その言葉が頭をよぎるたび、リョウタの心は揺れた。それでも、彼の耳には路上で流れる音楽に反応する人々の声が届いていた。 失ったもの、得たもの そんなある日、リョウタは路上で一人の女性に声をかけられた。 「リョウタ君……」 振り返るとそこにいたのはアテナだった。 「君の音楽、聴こえてきたよ。あの頃の私たちが話してたこと、本当にやってるんだね」 アテナの瞳は、かつてのように優しく、そして少し寂しそうだった。 「俺は、君の言葉がずっと引っかかってた。音楽が人をつなぐっていう意味が、やっとわかった気がする」 二人はしばらくの間、言葉を交わした。その日、アテナは再びリョウタの元を去ったが、彼女の表情には安堵が浮かんでいた。 永遠に鳴り響く音 その後もリョウタは音楽を届け続けた。彼の曲はついに大規模なイベントにも取り上げられ、「Breakbeats on the Athena」は地下の音楽シーンで不動の人気を得ることとなった。 音楽配信サイトを通じていなくても、リョウタの音楽は確かに届いていた。それはリスナー一人ひとりの心に直接触れる方法を見つけたからこそ、実現できたものだった。 リョウタの音楽が消えることはない。なぜなら、それは人と人をつなぐために存在しているからだ。 そして、今日もまた、どこかの路上で「Breakbeats on the Athena」が鳴り響いている――。
新たな挑戦
路上ライブを中心に活動を続けるリョウタは、仲間たちとともに少しずつ活動の幅を広げていった。彼の「Athena計画」は、最初はただの思いつきだったが、今や小さなムーブメントになりつつあった。地方の駅前だけでなく、廃工場や自然公園といった場所を借りて、即興の音楽イベントを開くようになった。SNSで事前に告知を行うと、全国から音楽好きが集まり始めるようになったのだ。 イベントが終わるたびに、リョウタはいつも同じことを繰り返していた。参加者たちの感想を聞き、彼らがどうやってイベントを知ったのかを尋ねる。多くの人が言うのは、「誰かから教えてもらった」という言葉だった。 「やっぱり音楽は、機械じゃなくて人から人へ届いていくんだな」 リョウタはその実感を胸に抱きながら、次の企画を考える日々を送った。 壁にぶつかる しかし、順風満帆とはいかなかった。イベントが大きくなるにつれ、資金や運営の問題がのしかかるようになった。ボランティアで支えられていた活動も、継続には限界が見え始めていた。 ある日、仲間のタカシが真剣な表情でリョウタに言った。 「お前の理想はわかるけど、現実も見てくれ。もっとスポンサーを募るとか、配信サイトを部分的にでも使うとか、収益を考えないと、このままじゃ続けられないぞ」 リョウタは反論できなかった。タカシの言葉が正しいのは、頭では理解していた。だが、配信サイトを利用すれば、自分が信じる音楽の届け方が変わってしまう。そこには、かつてのアテナとの思い出が込められているからこそ、妥協することができなかった。 その夜、リョウタは一人で街を歩いた。夜風が冷たく、音楽が生まれたばかりの路上に、彼の足は自然と向かっていた。 「人と人をつなぐもの」 「何か迷ってるのかい?」 声をかけてきたのは、路上でギターを弾いていた年配の男性だった。白髪混じりの髪を無造作にまとめたその男は、リョウタに微笑みかけた。 「君のことは噂で聞いてるよ。『Athena計画』、いいじゃないか。けど、続けるにはきっと苦労も多いだろう」 リョウタは思わずその男性に自分の悩みを打ち明けた。すべてを話し終えたとき、彼はギターを抱えたまま静かに言った。 「俺も若い頃は同じだった。自分の音楽を届ける方法にこだわって、それ以外の道を否定してた。でもね、本当に大事なのは、届ける方法よりも、その音楽が誰かにどう響くかじゃないかな」 その言葉に、リョウタははっとした。 「君の音楽は、人をつなぐ力を持っている。その力があれば、届け方が変わったって、きっと君の信じるものは変わらないよ」 その夜、リョウタは自分の音楽が持つ意味を改めて考えた。 新しいステップ 翌日、リョウタは仲間たちを集めて話し合いを行った。 「タカシの言う通り、もっと多くの人に届けるためには、やり方を変えなきゃいけない。配信サイトを使うのも視野に入れていこう。ただし、ただ曲をアップするだけじゃない。俺たち自身が動いて、音楽の魅力を直接伝える仕掛けを作るんだ」 具体的には、配信サイトには一部の曲だけをアップロードし、リンク先には「Athena計画」の詳細や次のイベント情報を載せる。そして、そのイベントでは必ず新曲を披露し、その場にいるリスナーに直接データを配布する。あくまでも「直接届ける」という信念を守りつつ、配信サイトも活用するという新しい形だった。 この提案に仲間たちは賛同し、リョウタの活動は次の段階へと進んでいった。 音楽の未来へ 新しい戦略はすぐに成果を上げた。配信サイトで公開された曲が広まり、イベントへの関心がさらに高まった。そして、イベントではリョウタの音楽を求める人々が全国から集まるようになった。彼の音楽を受け取った人々は、また別の人々にその音を届けていく。 ある夜、リョウタはイベント会場の片隅で、懐かしい姿を見かけた。それはアテナだった。 「久しぶりだね」 彼女は柔らかく微笑みながら言った。 「リョウタ君の音楽、たくさんの人につながってるね。私が話してたこと、覚えててくれてありがとう」 リョウタは少し照れくさそうに笑った。 「俺がここまでこれたのは、君の言葉があったからだよ。ありがとう、アテナ」 彼女は何も言わず、そっとリョウタの手を握った。その感触はかつてのままだった。 「Breakbeats on the Athena」の旅 その後もリョウタの音楽は広がり続けた。彼の名前は大きなメディアには載らないが、聴いた人々の記憶に残り続ける。リョウタにとって、それこそが音楽の本当の価値だった。 どこかの街で、また新たな「Breakbeats on the Athena」が流れ始める。そこには、音楽を通じて人と人をつなぐリョウタの魂が宿っているのだ――。
適当な文章を書いた男 関口小雨
真剣に曲を書いた男 関口小雨
できれば売れてほしい男 関口小雨
最高のエンターテイナー リョウタ